強豪育ち、プロでの苦悩、そして都農での再起。
試合に出られない日々が礎。選手として、指導者として、昇格への道を切りひらく!
経験と情熱をもって挑む、大型守護神 GK 中山 開帆選手にインタビューした。
「敵なしの中学時代」と全国での挫折
先日の天皇杯宮崎予選の準決勝(ミネベアミツミFC戦)、チームを勢いづける好セーブを連発
―プロフィールに野球がやりたかったとありますが、サッカーを始めたきっかけは?
家の近所に野球のチームがなくて(笑)。サッカーしている友達が多かったのと、母親に半ば強制で「とりあえずサッカーしたら」と言われたので、小学校3年生の頃にはじめました。
―いつからGKをされていますか?
小学校5年生ぐらいから稗田(ひえだ)MFCで本格的に。ちょうど日韓ワールドカップ(2002 FIFA ワールドカップ)でオリバー・カーン(ドイツ代表)も活躍していたので憧れたのもあります。あとは、GKだったら試合にも出られたんですよ。他のポジションでは特筆するところもない、普通の選手だったんですけど、GKだったら褒めてもらえたのが嬉しくて。
―中学校からの小倉南FCJrユースは強いチームですね!
そうですね。特に中学の時は九州では敵なし!という感じでした。全国大会への出場が決まった時も「優勝できるだろうな」と思っていました。ただ、いざ出場してみたら、全くそんなことはなくて。
―もっと強いチームや選手がいたんですか?
当時、青森山田中学だった柴崎 岳選手(現・鹿島アントラーズ)や、FC東京ユースだった武藤 嘉紀選手(現・ヴィッセル神戸)と対戦して、コテンパンにやられたんですよ。それまで、なんとなく「プロになりたいな」とは思っていたんですが、「そこに追いつかないとプロになれない」と意識がはっきりと変わった瞬間でしたね。
―強豪・東福岡高校へ順調に進まれました、噂通りの厳しさでしたか?
いやー、ヤバかったですね!(笑)今では考えられないようなエピソードが山ほどあります。でも、その分しっかり鍛えられました。雰囲気も中学生までとはガラリと変わって、周りも本気でしたし必然的に意識も上がって、同世代でも更に上にいっている人をライバルに感じて頑張りました。
―ご自身では、どんなところが鍛えられたと思いますか?
体づくりや技術の基礎、挨拶から言葉遣い、考え方や人間性まですべて鍛えられました。確かに厳しかったですが、どんな練習も意味があると思えたし、すべてを吸収しようという気持ちで過ごしました。
今でも基本は基礎。身体づくりも技術も抜け目ない中山選手
転機は、1人のコーチとの出会い
―近畿大からプロになるのに苦労されたと伺いました。
1年の頃は1部にいたんですけど、3年生からは2部だったんです。2年生くらいまで監督と衝突があったり、何より九州から大阪の都会に出てきて、刺激が強くて楽しくて(笑)。サッカーはもちろん本気でやっていたんですけど、「自分は何のために大阪へ来たのか」を再認識できたのは大学2年生の夏を過ぎた頃でした。2部だったので、なかなかスカウトの方も見に来られなくて、苦労しましたね。
―その中でギラヴァンツ北九州に進まれたきっかけは?
なかなかスカウトの方とも出会えなかった中、たまたま関西選抜に選んでもらえたんです。そこにギラヴァンツの方が見に来ていて、まずは練習試合から参加しないかというお話をもらいました。J3からも声はかかったのですが、少しでも上のカテゴリに行きたかったので、そのまま入りました。
―ギラヴァンツ時代、公式戦出場までに3年半かかったと伺いました。
プロ入りの夢を叶えたのは嬉しかったんですが、GKというポジションは想像以上に厳しくて。試合に出られず、何度も「このまま終わるのかもしれない」と思いました。でも、だからこそ、自分と向き合う時間は誰よりも長かったと思います。試合に出られなくても、自分を信じて、目の前のトレーニングに全力で取り組んでいました。
―つらい日々だったかと思います。何か状況を変えるキッカケがあったのでしょうか?
ギラヴァンツでのプロ生活の中で、一番の転機は間違いなく3年目の武田治郎コーチ(現・レノファ山口FC U-18 GKコーチ)との出会いです。実は大学時代、ガイナーレ鳥取の練習試合に呼ばれたときに、武田さんとお会いしてるんです。その時も声をかけてもらったんですけど、僕は別の道に進んで。でも、ギラヴァンツでまた一緒になれて、とても嬉しい再会でした。
当時の僕は、試合にもなかなか絡めず自信も失っていて。正直、気持ち的にギリギリでした。でも武田さんが毎日午前だけでなく、午後もマンツーマンで練習を見てくれて。とにかく技術も意識もゼロから鍛え直してくれました。
周囲と同じメニューではなく、自分のためだけに用意された1年間のトレーニングが終わったとき、「自分は今、やっとプロになれた」と初めて思えました。その後、いくつかの試合に出場しました。勝利にはなかなか恵まれませんでしたが、その悔しさが今に繋がっているし、武田コーチと出会わなければ僕はサッカーを辞めていたかもしれません。
恩師との出会いが今に繋がっていると語る中山選手
水戸での4年間を振り返って
―水戸ホーリーホックへの移籍までは悩んだ時期もあったとか。
北九州を退団してから、なかなか次のチームが決まらず、正直このまま引退するのか…と悩んでいました。北九州で消化不良だったので、まだサッカーを続けたい気持ちは強かったんですけど、Jリーグのクラブからは声がかからず。「カテゴリを落とす」か「辞める」か、かなり追い詰められていた時期でした。その時に、水戸ホーリーホックから「練習に参加してみないか」というお話をもらって、キャンプから戻ったばかりのチームに合流し、約3週間の練習参加。最後のつもりで必死に取り組んで、開幕戦直前にようやく契約できました。
―水戸ホーリーホックでの初出場となった愛媛FC戦。当時の心境を教えてください。
GKに怪我人が出たことで、自分に出場のチャンスが回ってきたんです。2年目だったんですが、ポジション争いで4番手から2番手に上がったタイミングでした。初出場だったので緊張していましたし、かなり必死だったので、正直試合のことはあまり覚えてないんです(笑)。「ここで結果を出さないと終わりだ」という強い気持ちでピッチに立ったことだけは覚えてますね。
苦しい時期もあった水戸ホーリーホック時代
―FC岐阜への期限付き移籍を経験して、どのような成長や学びがありましたか?
水戸での2〜4年目は、出場のチャンスがあったりなかったりで。でも4年目が終わる頃には、完全に3番手、いや4番手という立ち位置になっていました。カテゴリーが下がっても、試合に出られる環境がほしかった時に決まったのが、FC岐阜への移籍でした。あの半年間は本当に大きかったですね。試合勘も取り戻せたし、何より「自分がピッチに立つ意味」をあらためて強く実感できた時間でした。
―GKというポジションの魅力や難しさについて、どのように感じていますか?
GKは孤独で、失点したら一番に矢面に立つ、責任が重くて、きついポジションです。だからもし時間が巻き戻せるなら、次はやりたくないかな(笑)。でも逆に、試合の流れを1人で引き寄せられるのもGKなんです。失点を防げば、それだけでチームが助かる。年齢を重ねるごとに、その重みをよりリアルに感じられるようになりました。試合の勝敗を左右する、怖さと魅力が表裏一体。でも、そこが面白味ですかね。
―これまで対戦した中で、特に印象に残っているチームや選手はありますか?
水戸にいたときにプレシーズンマッチで対戦した、鹿島アントラーズですね。キャンプ中から調子が良くて、その流れでスタメンを勝ち取れた試合だったんです。「ここでしっかり結果を出せば、開幕からいける」って確信していて、自分のサッカー人生の中でも、あれほど集中した試合はなかったと思います。あの鈴木優磨選手(現・鹿島アントラーズ)のPKを止めたのは、かなり大きな自信になりましたね。印象に残っている選手も、その時の鈴木選手ですね。見た目のイメージと違って、繊細で、頭も切れるし、駆け引きがうまい。確実に相手が嫌な事をしかけてくる、そんな選手でしたね。練習試合だったけど、宇佐美選手(現・ガンバ大阪)も印象的でした。「誰もが思いつくけど実行できないプレー」を、さらっと当たり前のようにやってのけるので “天才”って、こういう人を言うんだなと思いました。
都農で、もう一度Jリーグを目指す
天皇杯宮崎予選決勝のテゲバジャーロ戦ではスタメン出場、無失点に抑える活躍でチームの勝利に貢献(写真右)
―ヴェロスクロノス都農に加入したきっかけを教えてください。
正直なところ、水戸を退団したばかりのころはまだ、Jリーグのクラブを探していました。でも自分も年齢を重ねてきて、なかなか厳しい状況で。その時にヴェロスクロノス都農の小寺監督や、クラブのGMである根本さんとお話する機会がありました。小寺監督はかつてJリーグの世界で戦ってきた方なので、「このクラブでもう一度Jリーグを目指している」という言葉にも説得力と覚悟があって、心が動きました。都農は2年連続で地域CLで昇格を逃していると聞いて、「チームの悔しい想いに自分の経験が力になれるんじゃないか」と感じたんです。自分もJリーグを目指して戦ってきた人間なので、そこに共感できたし、「もう一度、Jリーグを目指して一緒に上がっていこう」という気持ちになりました。
―実際にプレーしてみて、チームの印象は?
すごく良いものを持っている選手が多いですし、Jリーグに届くポテンシャルを感じます。ただ、そのポテンシャルを引き出していくには、経験や細部の詰めが必要だと感じているので、そういった部分で何か還元できればと思っています。
ヴェロスクロノス都農のキーパー陣と佐々木GPコーチ(写真右)
―チームがJリーグへ昇格するために、必要なことは何だと思いますか?
地域リーグならではの難しさは、僕も痛感しています。実力だけじゃなく“運”や“タイミング”も大事だと思うので。
自分ができることは「守備の意識」や「勝つための準備」をどこまで徹底できるかだと思います。ただ、個人の力ではなく、チーム全体がどう勝ちにこだわるか。そこが突き詰められれば、必ず道は開けると信じています。
―ヴェロスクロノス都農U-18のコーチをされていますね。指導において大切にしていることは何ですか?
僕自身、まだ指導者としては勉強の毎日です。選手たちに教えているようで、自分が学ばせてもらっている部分もすごく多い。一番大切にしているのは「基礎をおろそかにしないこと」。どんなに上手くなっても、やっぱり土台がしっかりしていないといけない。それは僕がギラヴァンツ時代に武田さんから繰り返し教わったことでもあります。だから今は、とにかく丁寧に、繰り返し、基礎を伝えるようにしています。
―コーチをやってみていかがでしたか?
コーチには前から興味があったので、やってみたらすごく面白いです。現役でプレーしながら指導にも関われるのは、自分にとっても大きな刺激になっています。最近は選手たちも少しずつ打ち解けてくれて嬉しいです。中には釣りにハマってる子も多くて、「今度連れてってくださいよ」なんて言われたり。僕は釣りしないので、ただ車を出してくれって事ですけどね(笑)
―試合でもアカデミーの皆さんがスタンドから大きな声援を送っていますよね。
みんな本当に可愛いんですよ!(笑) 応援してくれる彼らのためにも負けられないですし、今の自分の原動力にもなっていますね。
試合後にアカデミーの皆さんと喜びを分かち合う中山選手
選手の熱と、地域の想いを一つに
―オフの日の過ごし方や、リフレッシュ方法を教えてください。
今ハマってるのは無人販売所です。新鮮な野菜が信じられないくらい安くて!あとは動画を観たり。本当は趣味のゴルフもしたいんですけど、まだ都農では行けてないんです。(後日、ヴェロスのチームメイトと一緒に行けたとのこと!)
趣味のゴルフをチームメイトと一緒に楽しむ中山選手(写真右上)
―チーム・個人の目標はありますか?
とにかく「昇格」です。チームとしても、個人としても、それがすべて。今のチームは、2年以内にJリーグ入りを果たすという明確な目標を持っていますし、その中で自分がどう貢献できるかを常に意識しています。簡単な道のりではないですが、結果がすべての世界。だからこそ、一つずつのプレーにこだわって、昇格という結果を掴みにいきます。
―最後に都農町とサポーターのみなさまへひとことどうぞ。
先日のホーム開幕戦は本当に驚きました。地域リーグのクラブに、これだけの人が足を運んでくれるなんて、本当にすごいことだと思います。昇格を目指す中で、僕たち選手は全力でプレーしますが、それだけでは難しい。地域の方々の応援や支えがあってこそ、Jの舞台に近づけると思っています。来年、必ず昇格します。これからも一緒に戦ってください。
中山 開帆 選手の詳細プロフィールはこちら
- 2025.05.30
- 選手・スタッフ