2024.08.30

《選手&スタッフ インタビュー#33 》高橋 健選手インタビュー

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今年の7月から新戦力としてチームに合流

外柔内剛な人柄から感じるサッカーへの一途な想い

JFLの厳しさも知るDF高橋健選手にインタビューした

 

サッカーとの出会い


―サッカーを始めたきっかけを教えてください

小学1年生の時で3つ上の兄を追いかける形で始めて、3年生に上がる頃には兄と同じ試合にも出ていました。最初の頃は背も低かったのでポジションは前線の方でしたね。

 

―当時の所属チームはどのくらいの強さだったんですか?

たぶん宮崎では強かったと思いますよ。自分が高学年の時は隣の鹿児島県の大会でも優勝したり、宮崎県のリーグでも上位にいるようなチームでした。個人では6年生の時に九州トレセンに選ばれたりして、県や九州の選抜では上手い選手も多いのでそれが刺激にもなって楽しかったですね。

 

―選抜に呼ばれていた時は手応えを感じましたか?

いや全然…めちゃくちゃレベルの差を感じましたね。同世代でもJリーグのクラブユース出身の選手もいたので、緊張しまくりで怯えて何もできなかったです(笑)

ヴェロスクロノス都農での活躍を期待されている高橋選手

 

夢中でボールを追いかけた学生時代


―大塚中学校では1年生からレギュラーでしたか?

たぶん出ていました。中学校が小学校のすぐ隣で小学生の時から中学生の練習にたまに参加することもあって、そこには兄もいたので中学の環境には馴染みやすかったですね。

 

―中学時代の成績はどうでした?

2年生の中体連では宮崎県で優勝しました。でも自分の代はそこまで強くなくて、だんだん力も落ちていってクラブチームに人も流れていって、今ではもう中学校のサッカー部は廃部になりましたね。

 

―ちなみに当時のポジションは?

中学はずっとボランチでした。特に他のポジションをやりたい気持ちもなくて、当時は点を決めるよりもアシストに魅力を感じていましたね。まぁドリブルもあまり得意ではなかったので…(笑)

 

―中学時代の部活で他に印象に残っていることはありますか?

サッカーに対して周囲の熱量を感じない時にチームメイトと些細な喧嘩が起きたり、方向性が一致していない時期とかもあって…その時はサッカーに対して意識が高い人が集まったクラブチームの方が、自分なりにもっと上手くなって成長できたのかなと思うこともありましたね。

 

―高校は地元の宮崎ではなく、東海大福岡を選んだ理由を教えてください

宮崎の高校からも話を聞いていたんですけど、県外に出てみたい気持ちと全国でも上位を狙えるレベルの高い福岡の学校で勝負して、いろんな人が見てくれるステージで活躍したいと思い決断しました。あと試合に負けたり、他の部員の連帯責任で坊主にするみたいなルールが根強い高校には行きたくなかったですね(笑)

 

―強制的に坊主は…まぁ嫌ですよね(笑)

何のための坊主なの?みたいな(笑)
でもそれなりに東海大五(※1)もめちゃくちゃ厳しかったです。シャツも入れないといけない、スパイクも黒じゃないとだめ、ちょっと軍隊みたいに規律が厳しくて。大前提として「サッカー選手である前に、一人の高校生として自立する」という指導方針がありましたね。
※1 東海大学附属福岡高等学校の旧名。

 

―高校でのキャリアはどのようにスタートしましたか?

1年生のリーグ開幕戦から右サイドバックのスタメンで出場しました。アビスパ福岡U-18との対戦で試合には負けたんですけどめちゃくちゃ印象に残ってますね。たぶん相手チームに同級生の濱口功聖選手(現ヴェロスクロノス)もいたんじゃないんですかね。

福岡の名門、東海大福岡高校時代の高橋選手

 

―今でも鮮明に覚えているということは、実力差を強烈に感じたということですか?

そうですね。なんかもう雰囲気もワンランク上で大人びてるし、技術もスピードも全然違うし、これがクラブユースと高体連の違いなのかなって。

 

―中学ではボランチでしたが高校はずっとサイドバックで?

高校時代はコンスタントに試合に絡めていて、両サイドとセンターバック、ボランチもやったり、たぶん中盤から後ろはほぼやりましたね。あと厳しい環境だったので、試合や練習で怪我をしても簡単には休めなかったですね(笑)

高校時代は技術だけでなく精神性も培った高橋選手

 

怪我と挫折、苦悩の日々


―タフな高校生活の先に「プロ」という道は見据えていましたか?

プロは全く意識していませんでした。大学でもサッカーが出来ればなぁって。高校の監督から専修大学の推薦の話を聞いて、他にセレクションとかも受けずに早々に決断しましたね。何とかなると思って、もう行っちゃえって(笑)

 

―積極的にチャレンジできる年齢ですしね

そうですね。また関東に行けば色々なチャンスも増えるだろうし、もう少し自分を試したい気持ちがありました。ただ高校3年生の最後の大会で怪我をしてしまったので、大学の最初の半年間は試合からは遠ざかっていました。それと大学では全国から実力のある選手が沢山集まっていたので「今まで通りにはいかないんだなぁ」と感じて、自分にとってはそれが一番の挫折だったと思います。

サッカーに対する情熱とひたむきな努力で挫折を乗り越えた高橋選手

 

―悔しい時期がしばらく続いていくんですね

全然うまくいかなくて、自分の中でサッカーに対する気持ちが少しずつ冷めてきたと初めて感じました。ずっとセカンドチームでやっていて、3年生の時に監督が変わったタイミングでトップチームでの出場機会も少し増えたんですけど…それも長くは続かなくて。

 

―その時はサッカーを辞めようと思いましたか?

今までサッカーだけを続けてきて、「こんなにあっさり辞めていいのかな」という葛藤がありました。でも最終的には「自分にはサッカーしかない」という気持ちを信じて続けることにしました。
あと、ちょうどその頃は大学でやり続けてきたサイドバックの魅力というか、ボランチとは違う景色の見え方を以前より明確に感じ始めた時期でしたね。

 

―ちなみにサイドバックで一番楽しい瞬間ってどんな時ですか?

オフェンスならフォワードの選手へのクロスなどのパスの供給ですね。ディフェンスなら相手のスピードやテクニックがある起点となる選手を止めたときはより一層熱くなりますね。

 

仕事とサッカーの両立


―大学卒業後、JFLのミネベアミツミFCに入団した経緯を教えてください

卒業後は地元の宮崎に帰ろうと思っていました。父親と兄がホンダロック(※2)で働いていたこともあり、事前にサッカー部の情報も聞いていました。地元なら応援してくれる人も多いだろうし、JFLという舞台でサッカーをしたいという気持ちが次第に大きくなって入団を決めました。企業チームなので仕事面での将来的な安定も決め手の一つでしたね。
※2 後にミネベアミツミの子会社となり社名変更。

 

―はじめての仕事とサッカーの両立はどうでしたか?

めちゃくちゃキツかったです!毎日8時間の仕事をした後に2時間みっちり練習という生活サイクルで…今思えばよくやってたなと思います。業務内容も立ち仕事がメインだったので、練習前にはすでに足が疲れ切っていました(笑)

 

―いつ頃から試合には出場していましたか?

試合には入団後の開幕戦から出させてもらいました。メインはサイドバックで、たまにボランチでの出場機会もありました。入団当時のチームにはベテランが多かったんですけど、若手も伸び伸びとできる楽しい雰囲気でしたね。

 

―同期入団には永吉広大選手(現ヴェロスクロノス)もいますよね

最初の頃は自分が人見知りなので馴染むまでに少し時間がかかったんですけど、今はめちゃくちゃ仲良くしていますね(笑)

 

―社会人になってご自身のプレースタイルに変化はありましたか?

プレーに関しての強みは学生時代からずっと変わらないですね。トラップしてパスを出す、シンプルに淡々とこなしている感じです。

攻守でリズムを生み出す堅実なプレーが持ち味の高橋選手

 

―プロフィールを見ると、やはり得意なプレーは長短のパスですか?

そう書きましたね…それしかないんで! (笑)

 

―それしか(笑)例えば空中戦での競り合いとか…その辺りはどうでしょう?

うーん…相手より先に飛んで…相手の肩を借りるって感じです!(笑)

 

―相手チームとして対戦していた頃、ヴェロスはどんな印象でしたか?

そこまで怖いなという印象はありませんでした。試合ではボールを保持されていたので、そういった相手に対しての戦い方をしていたと思います。今年の天皇杯の宮崎予選(※3)に関しては両方のチームを応援していました(笑)

※3 準決勝でヴェロスクロノス都農はミネベアミツミFCと対戦。

 

―ミネベアミツミFC時代の一番の思い出を教えてください

2021年の地域リーグから上がってきたチームとの一発勝負の入れ替え戦ですね。その試合で決勝点のゴールを決めた時は今でも印象に残ってます。コーナーキックのボールをジャンプしたらたまたま頭に当たってゴール入りました(笑)

 

都農の地で、新たなる決意を胸に


―ヴェロスクロノス都農に入ったきっかけを教えてください

昨年サッカーの引退を考えていた頃、国体の誘いを受けて悩んでいた矢先に練習試合で左膝の前十字靭帯断裂という大怪我をしてしまって…。いよいよサッカーを諦めかけたタイミングで、元々知り合いだった強化部長の根元さんから声をかけて頂きました。自分に対する熱い気持ちを感じて、もう一度気持ちを切り替えて怪我を治して取り組めば、またサッカーが楽しいと思えるようになると思いオファーを受けました。
いい意味で根元さんの熱量には負けましたね(笑)

 

―実際にヴェロスに入って、最初はどんな気持ちでしたか?

チームというよりもまずは自分の怪我を完治させて、再発させない為にリハビリを徹底することを考えていました。最初は練習に参加することができなかったんですが、チームのサッカーを見ていると自分のモチベーションが上がって、もう一回ここでサッカーをしてみたいなという気持ちになりましたね。

 

―再び永吉広大選手と同じユニフォームの袖を通すことになりましたね

そうですね。また一緒にできると思うと嬉しくなりますし、濱口功聖選手も高校時代の国体の選考会でも一緒だったので、チームメイトとして再会できてよかったです。当時の自分のことを覚えていてくれたことも嬉しかったですね。

 

―シフトプラスでは普段どのような仕事をしていますか?

宮崎市の受託チームでサイトの修正や新規登録などの業務を行なっています。最初の頃に比べるとだいぶ仕事にも慣れてきましたし、宮崎営業所の方々も優しいので助かっています!チームメイトの赤塚怜選手もいるので色んな意味で安心です(笑)

練習後はデスクワークに奮闘する高橋選手

 

―サッカーとのバランスは取れていますか?

そうですね。仕事からサッカーに入るまでのコンディションの調整もしやすいですし、よりサッカーに集中できる環境だと思います。今のところ膝の怪我も順調に回復できています。

 

―オフの日はゴルフに行くことが多いですか?

チーム内にも10人ぐらいのゴルフ部みたいなのがあるので、休日は家が近いチームメイトと一緒に行ってリフレッシュしていますね。

 

チームの為に、JFLの舞台へ突き進む


―チームとしての目標を聞かせてください

チームとしては今年JFL昇格が一番の目標ですね。リーグ戦を優勝しても気を抜かずに、地域CLに向けて気持ちを高めていくことが大事だと思います。何が起きるかわからない一発勝負なので、それなりの準備をしていかないといけないですね。

 

―今後JFLに昇格したらチームにはどんなことが必要になってくると思いますか?

JFLにはそれなりに経歴のある選手も多いので、気を抜いた一瞬の隙をつかれる場面も増えてくると思います。当然試合では今までとは違った戦い方が求められるでしょうし、JFLを勝ち上がっていく為には選手の力だけじゃなくて、スタッフも含めた組織力も必要になってくると思います。

 

―個人の目標もお願いします

一番はまずは怪我をしないことですね。今は色んなポジションで試させてもらっている状態ですが、どのポジションで試合に出ても勝利に貢献できればいいと思っています。

 

―最後に都農町とサポーターのみなさまへメッセージをお願いします

今年JFL昇格に向けて一緒に都農を盛り上げていきましょう!応援よろしくお願いします!

 

 

【追記】

高橋選手が所属するシフトプラス株式会社の同僚、岩切龍二さん(元ヴェロスクロノス都農)より、下記のコメントを頂きましたのでご紹介します。

 

小学生の時に健とは一緒にサッカーをしていて、宮崎県のゴーデンコンビと言っても過言でないくらい息ピッタリのコンビネーションで強豪チームに勝利を重ねていました!まさか同じ会社で働く事になるとは思っていなかったです。次は仕事でシフトプラスのゴールデンコンビを皆さんに見ていただけると思います!
サッカー以外では、小学生ながら壁に向かってゴルフクラブで石を打ってトレーニングに励んでいました!ゴルフ歴はシフトプラスで1番かもしれません(笑)

 


高橋 健 選手の詳細プロフィールはこちら

 

2024.08.30
選手・スタッフ

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