2024.09.26

《選手&スタッフ インタビュー#37 》福島 竜弥 選手インタビュー

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地元・児湯(こゆ)で育まれた無限のポテンシャル

プロの世界で生き残るため、磨き上げた左足

声援を背に猪突猛進!攻守に効く万能サイドバック

DF福島竜弥選手にインタビューした

 

サッカーとの出会い


―サッカーを始めたきっかけは?

小学校低学年の冬休みに友達とサッカーをはじめたのがきっかけですね。それまではサッカーとは無縁で空手をやっていたんですけど、ちょうどやめるタイミングと重なったので、友達の入っているサッカーの少年団に入って本格的にサッカーを始めました。

 

―その頃からDFなんですか?

いやいや、全然。やっぱりフォワードですよ、点とる事が楽しくてしょうがなかったので。守る方が好きとかもなくて「俺はフォワードだ」という気持ちでした。最初は皆そうなんじゃないかな。

 

―中学校からは地元・宮崎県の児湯(こゆ)SCジュニアユースですね

そうですね。クラブチームのスタイルが本当自由気ままというか、その日その日のポジションも自分たちで決めていいような感じで。サッカーを本当に楽しむっていうのに重きを置いたチームでした。本当にいろいろなポジションを経験できたので、楽しかったですね。

児湯SCジュニアユース時代(写真左から4番目)

 

 

人生の転換期、決断


―その児湯SCジュニアユース時代に、浦和レッズの田畑昭宏(たばたあきひろ)さんにスカウトされた

もともと田畑さんがスカウトしようと思っていたのは、僕じゃなかったんですけどね。中学2年生の時の1個上の先輩がすごい選手で、その選手をスカウトしに来たらしいんですけど、たまたま僕に目を止めてくれて。

それから別日にもう一度、改めて試合を見に来てくれたんです。その時僕はちょうどセンターバックで、DFとして「これはいける」みたいな感じだったのかな。そこは分からないですけど。たまたまセンターバックだったのもタイミングよかったですね。

 

―DFの田畑さんから直接スカウト、すごいですね!

何回か来られているのは監督から聞いていましたけど、自分を見に来ているとは全然知らなくて。最初に面談で言われたのは「フォワードよりもディフェンダーでやってもらいたい」でした。スカウトしてもらった理由も、ここがよかったよ、とかわざわざ褒められるようなことはなかったんですけど、唯一言われたのは「左利きじゃなかったらとっていなかった」でした。すごく印象に残っています。

 

―もちろん浦和レッズはご存じだったと思いますが、それまでどんな存在でしたか?

小学校で入った少年団・川南大久保(かわみなみおおくぼ)スポーツ少年団の総監督が、河野真一(かわのしんいち)さんという元レッズの選手だったんです。真一さんが浦和レッズのマフラーとか手袋とかを持ってきて、年末のお楽しみ会のビンゴとかじゃんけん大会の景品にしてくれていました。当たったら本当に嬉しくて。
しかも当時浦和レッズは宮崎県でキャンプをしていて、毎年見に行くくらい憧れていたので、スカウトされる前から本当に特別なチームでした。

 

―スカウトされた時、それはそれは驚かれたのでは…

逆に実感なさすぎて落ち着いていましたよ。ただ2、3日後にじわじわと実感がわいてきて「えっ!?」って(笑)

 

―そのころから既にプロを目指していたんですか?

心の中ではスカウトされる前からなりたかったですね。中学生の頃は、とにかくサッカーだけはしっかりやっていました。ただ、あまり生活態度がよくなかったんで、「サッカー選手になりたい」って言うのは、なんとなく恥ずかしくて言えませんでした。それが、ユースに入ったことで、堂々と「サッカー選手になりたい」と言えるようになりました。決意表明できたって感じです。

スカウトの決め手となった左足

 

15歳、若くして単身浦和へ


―1年目は怪我も多く苦戦されたことも多かったとか

入る前は本気で「俺が一番うまい」と思っていました。でも、全国から選抜された上手い選手の中に入れば、別に自分は凄い選手ではなかったんですよね。全国のレベルの高さを痛感したというか…。
そうやって自信がなくなっていくと自分の良さって消えていって、すべて悪い方向にいってしまうんですよね。プレーも良くないし、挙げ句ケガもしちゃって。

 

―流れを変えるきっかけはあったんでしょうか

高円宮杯プレミアリーグEAST開幕戦で出場した清水エスパルスユースとの試合ですね。1年生の前半は納得のいく結果が出せずに苦しみましたが、冬になりやっと自分を取り戻して。少しずつ調子が上がってきた、そんなタイミングでした。
僕はもともとスタメンではなかったんですけど、同じ左サイドバックの選手が怪我をして、開幕1週間前に急に抜擢されて。本当にぶっつけ本番みたいな感じだったのと、大舞台で戦ったことがなかった不安、もちろん緊張もありました。でも全力を出し切ったことで「俺はこのレベルで出来るんだ」という実感になったんです。溜まっていたもどかしさや不安がはじけ飛んで、すべてが自信になったような試合でした。

 

―確かにその後U-18、U-20日本代表へ選出されていますね

そうですね。全く通用しないとかそういうことは感じなかったし、逆に高いレベルでみんなとできて、めちゃくちゃ楽しかったですよ。

 

―日本代表選抜時に影響を受けた選手はいますか?

影響…というと違うかもしれないんですけど、印象に残ったのは現在ギョズテペSK(トルコのイズミルをホームタウンとするサッカーチーム)の松木玖生(まつき くりゅう)選手ですね。
対戦したこともなかったし、画面越しでしか知らなくて「テレビでは3年生にもガツガツ意見していたし、私生活もそんな感じなのかな」と思っていたんです。でも実際会うと全然そんなことなくて。ひとりひとりに挨拶するし、謙虚で、やっぱり一流の選手ってこういう雰囲気なんだなと思いました。

 

―元日本代表の内田篤人(うちだ あつと)さんもコーチで来られていましたね

篤人さんが来たのはU-20の時ですね。篤人さんもサイドバックなんですけど、本当に自信を付けてくれる言葉選びをしてくれる方で。一番言ってくれたのが「もっと自信をもってプレーして」でした。やっぱり自信がある方がいいプレーができるので、ポジティブな言葉かけに確かにって納得することが多かったです。

浦和レッズ時代のオフ。パフェを落とす決定的瞬間だそう

 

 

プロデビューから現在へ、感謝と成長


―プロデビュー戦、心境はいかがでしたか

ルヴァンカップ・グループリーグ第一節の湘南ベルマーレ戦がデビュー戦でした。
試合の一週間前にリカルド監督に、スタメンでいくぞと言われて、「もうプロデビューできるのか!」と思うくらいどこか他人事で実感がなかったです。僕としてはプロデビューはまだまだ先だろうなと思っていたので。選んでくれたリカルド監督の期待に応えたいと思いましたね。

当日、バスで湘南に移動して、サポーターが応援してくれているのを見ると「ああサッカー選手になったんだな」とようやく実感が湧いてきて、やってやるぞという緊張感と熱い気持ちが湧き出て来たのを覚えています。
実際、試合では全然何もできなかったし、「俺これから先試合に出れないんじゃないかな」ってくらい何一ついいプレーできなかったんですけど……しっくり来てなかったし(笑)

 

―浦和レッズといえば熱烈なサポーターのイメージがありますが

小さい頃からテレビで見ていた大歓声をいざプレイヤーになって浴びると、もう迫力も何もかも全然違います。すごく背中を押してくれるし、敵からしたらめちゃくちゃ嫌かもしれないけど(笑)
いくらでも走れるんじゃないかってくらい力をもらえる、素晴らしいサポーターでした。去年浦和レッズを契約満了になって、トータルで1年間しかいなかったんですけど、今でも名前を覚えていただいていて。加入リリースとかSNSで流れたときも、浦和サポーターの皆さんが沢山コメントをくださるんですよ。1年しかやっていない、しかも3年前の選手を応援してくれるのは、温かいなと思っています。

 

―1年後、SC相模原への育成型期限付き移籍は成長があったと伺いました

最初の1か月はめちゃくちゃ手ごたえがあって、僕とチームとの信頼が出来てきていたと思います。開幕戦でも、本当だったらスタメンだったんじゃないかと思うんですけど、開幕戦前に肉離れしちゃって。それで開幕戦は出られず。5節には出場しました。変わらず手ごたえを感じていた中で、監督が解任されたんですよ。
そこで新しい監督が赴任されたんですけど、サッカーやプレーへの意見が合わない事が多かったんです。当時まだ僕も若くて、若さゆえの尖りがあったので、新しい監督に対して噛みつくことも多くて。「監督が選手を選んで僕たちは選ばれる側」ということに、自分が目を向けてやれなかったと思っています。
そういう経験があったからこそ、監督とのコミュニケーションとか、求めているプレーとか姿勢とか、そういうものは自分でも意識してやらないといけないなと。

 

―翌年も育成型期限付き移籍で高知ユナイテッドSCへ。怪我もあり厳しいシーズンでしたね

移籍してすぐ、トレーニング中に右膝外側半月板を損傷。他にもいろいろあって……。気持ち的に落ち込むことが多かったです。サッカー人生で初めてメンタルが崩れていました。活力が生まれなくて、サッカーに対してネガティブな時期というか。
そんな夏の時期に、現在東京ヴェルディでコーチをされている、森下仁志(もりした ひとし)さんが臨時コーチに就任されたんです。
かなり凹んでいた僕に、「お前はできる。今お前が怪我をしているのは強くなるための試練だ」って言葉をかけてくれました。言葉選びが本当にうまくて……。「この人が言ってくれたんだから頑張ろう」と思える、人として尊敬できる方だったので、本当に何度も何度も仁志さんの言葉に救われて、苦しい時期を乗り越えられました。

 

―レンタル中に契約満了という厳しい結果でした

そうですね。でももう、自分でも大体わかるんですよ。怪我をして今年はプレーができない。だからしっかりと成長するために高知で試合経験を積んで来いっていう風に言われていたのに、また怪我をして試合に出られませんと。僕もここで活躍して、自分の存在価値を示さないと必要とされないっていうのが分かっていたので、怪我をしたタイミングで薄々更新はないだろうなと思っていました。

 

―怪我と契約終了は、精神的にも相当こたえたと思います。メンタルはどのように保たれましたか?

まず僕は、そこまでネガティブな人間じゃないんですよ。あとは地元の友達とかお世話になった監督、そういう存在が僕の中では辛いときの大きな支えです。いろんな人が自分を応援してくれて、頑張って来いって背中を押してくれて、そういう言葉を思い出すとなんか頑張れて。
出身も田舎だからこそ、仲間との気持ちの距離が近いというか。いろんな人の言葉とか顔とかが浮かんできて、その度に乗り越えられるんだと思います。

いつも支えてくれる地元の友達

 

―ユースを含めて6年間いた浦和レッズを一言でいうと?

感謝と成長ですよね。

二言になった(笑)

僕という人間はこの6年間で出来ています。

 

 

ヴェロスクロノス都農との出会い


―ヴェロスクロノス都農に入ったきっかけを教えてください

強化部長の根本さんと会ったのが、浦和レッズを契約終了になってすぐのタイミングでした。その後コーチも一緒にきてくれて、いつでも待っていますよといった声掛けをしてくださって。その時はまだ移籍するとは考えていなかったので、「ありがとうございます、機会があればよろしくお願いします」と一旦お話していたんです。
そこから11月、12月、1月と怪我をしているのでトライアウトにも参加できず、判断材料が何もないから、声をかけてくれるチームもなかなかなくて。本当にサッカーを辞めなきゃいけないのかと思う時もあったんです。でも1月に根本さんが声をかけてくれて。ちょうど地元の宮崎に帰っていていたので、少し話すことにしたんです。
そろそろチームを決めなくてはいけないタイミングまできていました。他にもちょこちょこお話はいただいていたんですけど、やっぱり一番最初に声をかけてくれた地元のこのチームに移籍することを決めました。加入は7月からなんですけど、実は3月末くらいにはチームに入っていて、まだ僕が怪我で全然ボールを蹴れないところから一緒にリハビリしてくださったので、感謝しかないです。

ヴェロスクロノス都農で活躍する福島選手

 

―6年ぶりの地元ですね。ヴェロスクロノス都農のことはご存じでしたか?

高知に行った時に知りました。前身のJFCは知っていたんですけど、「新しくなったんだ」と思って選手を見ると、結構知っている選手が多かったのでびっくりしました。ほぼ全員もともとJリーグにいて、凄い選手沢山いるなって。

 

―実際チームに入って、プレーしてみてどうですか?

地域リーグのレベルじゃないなと思います。一人一人の能力が高くて。環境もすごくいいと思っていて、毎日天然芝のグラウンドで練習できているのは恵まれているなと。

 

―特に衝撃を受けた選手はいますか?

いないですね。悪い意味じゃなくて、みんなレベルが高いって事です。レベルが低いチームだとめちゃくちゃうまい選手とかが目立つと思うんですけど、ヴェロスクロノス都農は全員うまいので。

 

 

都農町での生活


―地域おこし協力隊の活動はなにをしていますか?

福祉課に配属されていて、「100まで運動教室」という「100歳まで元気な身体で頑張りましょう」をテーマに、75歳以上の高齢者の皆さんと運動する教室でのコーチをしています。それが終わったら、小学生の先生じゃないですけど、見守りを一緒にしたりしています。

 

―福島選手は年配の方にモテそうですね!

いやそうなんですよね、年配の方に結構声かけてもらえるというか。可愛がってはもらえています。まぁ「可愛い」って言われたことはないですけど(笑)
今22なんで、ちょうど孫くらいだからですかね。

 

―お休みの日はなにをされているんですか?

休みでも1日家にいてゴロゴロするのって嫌なので、何かしら外に出ています。カフェ行くのとか好きなので、ちょっと遠出してインスタに載っているようなところに行ったり。

 

―そんな福島選手がオススメする都農町の飲食店はありますか?

〈お好み焼き 集(つどい)〉ですね。安くて美味しくて店主も優しいので、めっちゃオススメです。

 

ヴェロスクロノス都農の未来


ハードワークでチームを支え、ピッチを駆け抜ける福島選手

 

―DFとして自身のプレーの強みはなんですか?

一番はハードワークです。あと左足。それと大事なのが声出しです。積極的に声出しをして、みんながきついとき、上手くいかないときにそれを助けるような役目が僕ならできると思うし、それをやらなくちゃいけないと思っています。

 

―今後ヴェロスクロノス都農が勝ち上がるためには何が必要だと思いますか?

サッカー的なところで言うと、もっとサッカーの本質的なところを高めないといけないと思っています。相手よりも走る、戦う、諦めない、相手よりも強い気持ちを持つとか、そういう質を上げていかないと。地域チャンピオンズリーグって僕は経験したことないですが、チーム力が試される大会になると思います。
一人一人がそういう自覚をもって、ワンチームという意識を持たないと勝てないと思います。
あとは怪我をしないことですね。地域チャンピオンズリーグが始まる前に、今から練習して高めていくことが必要だと思っています。

 

―チーム・個人の目標はありますか?

チームとしては優勝です。個人としては2つあるんですけど、一つは怪我をしないこと。地域チャンピオンズリーグで優勝するまで怪我をせずにプレーし続けることですね。もう一つは試合に出続けて自分の存在価値を示すことです。

 

―最後に都農町とサポーターのみなさまへ一言どうぞ

いつも応援してくれてありがとうございます。これから地域チャンピオンズリーグに向けてチーム一丸となって頑張ります。サポーターのみなさまの後押しも絶対必要になってくるので、応援と声援をよろしくお願いします。ワンチームで頑張りましょう!


福島 竜弥 選手の詳細プロフィールはこちら

2024.09.26
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