2023.07.06

《選手&スタッフ インタビュー #3 》衛藤 幹弥 選手インタビュー

SHARE

サッカーへ掛ける想いは人一倍。アキレス腱両足断裂という大きな挫折から這い上がり、情熱を燃やす衛藤幹弥選手。感謝を胸に抱き、都農町とチームを活性化させる彼にインタビューした。

 

プロサッカー選手への道


-サッカーを始めたきっかけは?

三歳ぐらいの時から仲の良い、親友と呼べるやつがいるんですが、自分は何をするにもその子に付いて行くタイプだったんです。ある時、その子が急にサッカーをやりたいって言いはじめて、「じゃあ僕もやる」っていう、結構ふわっとした理由で始めたのがきっかけでした。最初は、サッカー全く好きじゃなかったんですよ。その子に無理やりやらされてるところがだいぶあったかな(笑)

だけど小学生になる頃には、サッカーが大好きになっていて。今みたいにYouTubeとか、そういう娯楽があんまりなかったから、遊び=サッカーみたいな感じで純粋にサッカーを楽しんでました。今思えば、その子が「サッカーやりたい」って言ってなかったら、今もサッカーをやってなかったかもしれないです。

-プロサッカー選手になったきっかけは?

自分は熊本出身なんですけど、中学校からロアッソ熊本のジュニアユースに入りました。そこで、自分を取り巻く環境が大きく変化しましたね。県内の上手い選手とプレイしたり、選手同士の競争が生まれたりとか、小学生時代には無かったので。より戦術的なサッカーをするようになったことで、自分の中でのサッカーに対する情熱も色々と変わっていきました。その時初めてプロになりたいっていう夢ができたんです。

Jクラブのユース出身の人は、ほとんどの人が経験すると思うんですけど、ボールパーソン(試合中ピッチの外に出たボールを回収して、用意していた別のボールを選手に渡すのが主な役割。)をした時とか、目の前にプロ選手がいる環境だったので、自分もこうなりたいっていう意識を常に持っていました。ロアッソ熊本のユースチームに入って、周りの環境含めていろんな経験できたことがプロを目指すきっかけでしたね。

ヴェロスクロノス都農にて活躍する衛藤幹弥選手

 

挫折、そして新たなスタート


-ヴェロスクロノス都農に入ったきっかけは?

三年間ロアッソ熊本でプレイした後、鹿児島ユナイテッドFCに移籍したんですが、練習中に左足のアキレス腱を断裂してしまって......リハビリはしていたんですが、復帰を目前に右アキレス腱も断裂しちゃって、結果一年間プレーすることができませんでした。流石にメンタルもやられて、正直サッカーを続けるかどうか本気で悩みましたね。それでも自分を待ってくれてる人や、支えてくれてる人もいたんでもう一回頑張ろうって気持ちを持って頑張っていたんですが、現実は厳しく契約期間満了で更新は無し。

勝負の世界なんで一年間プレーできない自分の責任だし、そこは恨みとかないんですけど、先が全く見えない不安に襲われてかなりしんどかったですね。そんな所属できるチームも無い状態で、サッカーを辞める寸前という時に、監督の小寺さん(ヴェロスクロノス都農の現監督)からオファーがあったんです。早速面談を受けると、「持ってる強みや、一年間プレーしたところ・プレーしてなかったところも含めてチームに欲しい」と小寺さんが言ってくれて。「リハビリスタートでも取ってくれる、その気持ちに答えたい」っていう強い思いでヴェロスクロノス都農への移籍を決めました。

インタビューに答える衛藤選手

 

-ヴェロスクロノス都農に入って心境の変化はありましたか?

サッカーができる喜びを感じた事が、僕の中では一番大きかったです。リハビリ中は、サッカーを見るのもきつかったんですよ。自分の周りの選手が活躍する姿を「見ることしかできない」っていうのは、今思い返しても苦しい時間でしたね。

「大切なものは失ってから気づく」ってよく聞くけど、怪我でプレーできなかった自分にとってサッカーは近くにありそうで、手が届かないものだったので。プレーできないってこんなに辛いんだっていうのは本当に痛感しました


試合に出る・出ないとか、いろんな苦しいこともあるけど、ふと我に帰った時に、サッカーできないよりかはましだなってそこで原点に戻れるんです。あの辛い経験を踏まえたから、メンタルも強くなりました。チームのために何をすべきかひたすら考えたり、ピッチ外の行動とか見直し方とか、ポジティブに自分へ矢印を向けれたのはすごく良い経験でしたね。それにしても、だいぶきつかったですけど(笑)

 

都農町との出会い


-初めて都農町に来た時はどうでしたか?

鹿児島から都農へ移住する時に、とりあえず自分の荷物だけを持って運転しながら都農へ向かっていたんですね。都農に近づくに連れてどんどんビルが減って、畑だけになっていって......車のナビは高速道路を降りろって言ってくるけど、自分は「噓でしょ?間違えてない!?」みたいな感じで、最初はほんとびっくりしましたよ(笑)でも、今では自然豊かなこの町の空気がとても落ち着くし、良いところだなと思います。

あと、都農に来て一番良いなって思ったのは、人と人の繋がりが深いところですね。それこそ今、大家さんの目の前に住んでるんですけど、大家さんとか周りの人がよくしてくれたりとか、人の温かみをすごく感じるんです。都農はお店が少なくて、不便さもあるけどそれをカバーするぐらい沢山の魅力がありますね。

ただ、虫がすごいんですよ。(笑)見たことない大きさのムカデとか出てきたり、家の周りに街灯がないから、夜は自分の家の光に虫が集まってきたり、窓にはヤモリが六匹ぐらい張り付いていて。今はさすがに慣れちゃって、もう可愛くなってきました。(笑)

-都農町ではどんな生活をされていますか?

午前中は練習をして、午後から地域おこし協力隊として活動しています。自分は主に都農神社の清掃だったり、児童クラブのお手伝いをしていて、子供と一緒に遊んだりとかっていう感じですね。都農神社を清掃する時とかは、数年放置されていたところを自分たちが掃除したり、片づけたりするんですが、神社の人たちも喜んでくれるので特にやりがいがあります。参拝に来た人たちも、「頑張ってるね」とか「綺麗になったね、ありがとうね」と声を掛けてくれるし、直接感謝の言葉をもらえるのってすごく嬉しいですね。

地域おこし協力隊として児童クラブの子供たちに教える衛藤選手

-きつかったことはありましたか?

自分は、農業班の手伝いに行くことも多いんですが、高菜の収穫を手伝ったときですかね。高菜って白菜ぐらいの大きさで結構でかいんですが、それを収穫する時に鎌で思いっきり手を切っちゃって。鎌の切れ味が良すぎて、自分の手が切れてる事すら気づいてなかったんですよ。「でかい高菜が取れました!」って自慢しようとしたら血がボロボロって垂れててそこで初めて気づきました。(笑)農業班は毎日事故と隣り合わせでやってるんだなってシンプルに尊敬しましたね。

 

ヴェロスクロノス都農の未来


-これからどうなっていきたいか

去年一年間プレーできてなかったことで、自信を失う場面も結構あったんですけど、まだまだやれるんだっていう気持ちは残ってるんで、もう一度Jリーグに戻るために個人で結果を残して、このチームでどんどん上に行くのを目標に頑張りたいです。

-都農町の皆さんに一言

都農町の皆さんの協力があるからこそ、自分たちが最大限サッカーに集中して活動することができているので、本当に感謝してもしきれないです。その応援に答える為には、自分たちがJリーグで活躍することが一番の恩返しだと思うので、サッカーに集中するのはもちろん、地域おこし協力隊として両方頑張って恩返しできればと思います。


衛藤 幹弥 選手の詳細プロフィールはこちら

2023.07.06
選手・スタッフ

SHARE