2024.03.29

《選手&スタッフ インタビュー#14 》小寺 真人監督インタビュー前編

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就任以降、着実にチームを進化させてきた小寺真人監督。

彼の溢れ出るサッカーへの情熱と指導者としてのルーツはどこにあるのか?

チームに関わる全ての人の想いを背負い、夢に挑む若き指揮官にインタビューした。

<前編>

プレイヤーから指導者の道へ


ーはじめに、プレイヤーとしてのサッカー歴を教えてください。

幼稚園からはじめて、小・中・高と部活でやっていました。大学に入学してから一度プレイヤーをやめた時期があるのですが、しばらくしてから再び社会人チームでやりはじめて。卒業後に渡ったスペインでも、カタルーニャの州リーグでプレーしていたので、だいたい27、28歳ぐらいまではプレーしていましたね。プレイヤーとしては下手くそだったんで、プロレベルには全然届かなかったですけど。

 

―指導者を目指すきっかけはなんだったのでしょう?

大学生になって一度サッカーをやめた時に、「自分は将来何をしたいんだろう?」って考えたんです。そこで、最初に出てきたのがサッカーの指導者だった。そう思ったら「じゃあ、やってみよう」ってことで、すぐに地元の中学生のサッカークラブでコーチを始めました。それがきっかけというか、指導者としてのスタートですね。

練習でボードを使いながら戦術の説明をする小寺監督

 

サッカー観に影響を与えた、サッカーの本場・スペインへの留学


ー大学卒業後にスペインへ行かれたとのことですが、指導者になるためだったんでしょうか?

元々、大学卒業後は海外に行きたいと思っていて。その目的がコーチ留学だったんです。ただ、直前に指導者の道を諦めたことで目的がなくなってしまったんです。

当時、5年ほど中学生のサッカークラブを指導していたんですが、自分の指導に全然手応えがなくて。「将来これで食べていける」っていう道も見えなくなっていたんです。例えば、理想的なプロチームのプレーを説明しようとしたとき、子どもたちにうまく伝えられない自分がいて。だんだん情熱もなくなってきてしまって、「諦めよう……」と思って指導者を目指すのを一度辞めたんです。

それでも、サッカーをプレーするのは好きだったんで、公務員になって社会人選手としてプレーする人生を想像して「それはそれで幸せかもな」と思ったりもしたんですけど、結局あまりワクワクしなかった。それもあって「もしかして海外に行ったら、日本では見えていない選択肢が見えてくるかもしれない」と思って。コレっていう目的はないけど、とにかく行こうと思って、1年間だけのつもりで、スペインのバルセロナに行きました。

 

―憧れの地・スペインではどんな経験をされたんですか?

最初は指導はやるつもりはなかったんですが、サッカーは好きだったので、一選手としてプレーはしていました。選手をやることで、勉強したスペイン語を使ってチームメイトと関われますし、自然と生活や文化に触れる良い機会にもなりましね。

そこでプレーしていて、あることに気づいたんです。日本と指導される内容が違うなって。特に、頭の中のことを言われることが多いことに気づいたんですよ。それが、「判断」の部分。例えば「この場面でパスを出すべきか?ドリブルすべきか?」とか、「早めにパス出すべきか?自分に引きつけるべきか?」とか。「戦術とは何か?」って言ったら、「判断」なんですよ。その重要性を認識したという意味では、自分自身のサッカー観に大きな影響を与えた出来事でした。

 

―「判断」に関する指導は、日本ではあまりメジャーではないんでしょうか?

「目に見える部分」を言われることが多かったんですよね。例えば、サッカーボールを扱う「技術」とか、走る速さの「フィジカル」などの目に見える部分。それまでは自分もそういう部分を重要視してましたし、もちろん技術もフィジカルも重要です。しかし、スペインではそれよりも頭の中の目には見えない、「判断」というところを重要視してると感じました。

 

―日本にいた時の指導とはだいぶ視点が違ったんですね。

そうですね。後に指導者学校に通うんですが、その学校には「判断」に関するしっかりとしたコンセプトがありました。判断基準が明確に体系化されてるんです。それがすごく面白くて衝撃的でしたね。そこで学んだことは、自分でプレーすることと、そのクラブ内のアカデミーチームの監督をすることで実践に移していきました。それが、スペインに行ってから1年半経ったぐらいの頃でした。当初は1年間のつもりだったんですけど、運良く仕事も見つかって生活していける状態だったので、続けられました。そしてスペインに来てもまた指導の方に情熱が傾いている自分に気づき、再び指導者として挑戦していこうという覚悟が固まっていきました。

 

―学び、指導、仕事、プレーと、かなり多忙のように思いますが、ツラさはなかったですか?

今戻ってやれるか?っていわれたら結構きついんですけど、でもその時は本当に楽しく、幸せでしたね。日本で指導していた時に分からなかったことを言語化して実践して、自分の力にしていくプロセスがすごく楽しかったです。サッカーの街でサッカー文化にどっぷりと浸かりながら挑戦してくことが面白かったですし、毎日必死でしたね。

プレイヤーに関しては、やっぱり頭でっかちになってはいけないので。「頭では分かっている、でもできない」という難しさは必ずあります。それでも、コンセプトを頭に入れながらできたプレーっていうのは、記憶の中にずっと残るので。プレーで成功した記憶と、そのコンセプトが結びついているというか。だから、あの時やっていて良かったなと思いますね。プレイヤーをやっていなくても指導はできると思うんですが、試合に出られなかったり戦力外になったりする悔しさや辛さなど、プレイヤーをやっていたからこそ分かる感情も多いので、やっていて良かったと思います。

 

アカデミーの子供たちに戦術ボードで説明する小寺監督

 

人生を変えたミステル・ロティ―ナ、コーチ・イバンとの出会い


ースペインでの指導者としての活動から、日本に帰国されたのはいつ頃でしょうか?

2017年ですね。スペインで選手を辞めて、指導者に専念してから半年ほどたった時に、ヴェルディから通訳のオファーがありました。当時は、もう2、3年はスペインの地で経験を積みながら力をつけていきたいという思いがあったんですが、ロティーナとイバンと話して、「この人たちのプロジェクトに参加したい」と思ったんです。結果、5年で帰国することになりました。

 

―そこでロティ―ナ監督と出会うわけですね。

そうですね。初めは、ロティ―ナの通訳としてヴェルディに入ったんですが、ヘッドコーチのイバン・パランコが担っていた分析の仕事を手伝ってるうちに、 いつの間にか自分の仕事になってきて。2年目からは、正式に分析官兼監督通訳として働くことになりました。その後のセレッソ大阪や清水エスパルスでも、その流れが続いていったという感じです。

 

―イバン氏は、チームの中でどんな存在だったんですか?

チームとしての最後の決断は、監督であるロティーナがするんですが、トレーニングの大部分はイバンに任されていました。相手の分析からゲームモデルの導入、対戦相手ごとのプラン設定などをイバンが担っていましたが、その仕事量がすごく多かったんです。そんな彼を手伝いながら、本当にたくさんのことを学ばせてもらいましたね。

 

―分析官という仕事は具体的にどんなことをするのでしょうか?

自チームを分析して良い点や課題を切り取る。相手チームの分析は相手の特徴を把握するだけでなく、その相手との試合で起こりうる状況を自分たちのプレーモデルの中でどう解決していくかという解決策の提示までをしていました。

イバンには簡潔に説明することを求められました。ロティーナからは「説明はわかった、それで真人だったらどう決断するんだ?」と問いかけられることが多かったです。「決断することが一番難しいんだよ」とも言われました。監督をしている今はその言葉の意味がより理解できます。

 

―ロティーナ氏のサッカーは、「守備的」という言葉でたびたび表現される印象ですが、実際にチームの中から見た印象はいかがでしたか?

過去のミステル(ロティーナ)は守備に長けた監督だったのだと思います。実際に守備を武器に、リーガエスパニョーラやチャンピオンズリーグで戦ってきた方なので、そのイメージが強いのだと思います。でも日本にいた時のトレーニングは、8、9割が攻撃面に関するものでした。自分たちがボールをにぎって相手を動かし、空いたスペースをついていくというトレーニングをしていましたし、実際にヴェルディでもセレッソでも、多くの試合で実践できていたと思います。ボール保持ができない時でもしっかりと守備ができるチームだったので、守備の時間が長い試合もあったとは思いますが、ミステルとイバンは全ての局面でチーム全員が同じ地図を持って、同じ考え方で振る舞うことを求めていました。コンセプトへの理解や、それを実践できるクオリティを選手に求めていましたね。

 

―セレッソ大阪がリーグ最小失点の時も、監督はロティーナ氏だったと記憶しています。

その印象もあるからこそ「守備的」と言われてるのかもしれないですね。実際、守備がすごく奥深かったのは事実で、コンセプトもすごく細かった。ミステルの守り方は、人に対して強くいくというよりは、ゴールに向かうコースを消しながら出ていく守り方。だからボールは奪えてないけど、しっかり守れている時間っていうのが結構あるんです。もしかしたら、そういう時間が長かったのを見て、「守備的」という印象を与えたのかもしれないですね。ただ、ミステルは新しいことを勉強して取り入れて、自分をどんどんアップデートしていく人だったので、常に見どころの多い面白いサッカーができていたと思います。だから、「守備的」って言われるのは、あまり理解できないですし、その一言で終わらせるのは、なんだかもったいないなとは思いますね。

 

ピッチサイドから選手に指示を出す小寺監督


前編はここまで。

後編では、ヴェロスクロノス都農の監督就任のキッカケから、今シーズンにかける想いまで、熱く語ってくれています。

2024.03.29
選手・スタッフ

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