豊富な運動量を武器に中盤をかき回す
ドリブルで前線へボールを運び、決定的な働きも
プロのあり方を背中で語る努力家・梶山幹太インタビュー
―まずは、先日(4/6-7)の試合、お疲れ様でした!
ありがとうございます。
おかげさまで得点も上げられましたし、チームも九州リーグを連勝でスタートすることができました。
―2日連続で試合、しかもスタメン。相当ハードだと思います。
僕はもう4年目なので、だいぶ当たり前になってきました(笑)
サッカーとの出会い
―サッカーを始めたきっかけは?
2人の兄の影響です。3歳くらいからだと思うんですけど、その頃にはもうボール蹴ってたと思います。
当時、兄たちはもう小学生で。その中に混ざって一緒にやってたっていう感じですね。それからずっと、サッカーやってます。
親元を離れ、ひとり名古屋へ
―学生時代では、何が思い出に残っていますか?
小・中・高と、年代ごとにたくさん思い出があるんですが、1番はやっぱり高校生のときですかね。
プロに入ることを意識してましたし、より一層サッカーで頑張っていくみたいな、そういう思いが強かったので高校の思い出が一番濃いです。
―高校生からは、名古屋グランパスの下部組織に入られたと聞きました。
はい。新潟からひとりで名古屋まで出て、寮生活でした。
―親元を離れることに不安はなかったですか?
そうですね、地元を離れるっていうのは簡単な決断ではなかったですけど、自分としてはチャレンジする気持ちで行ったんで。あんまりホームシックにはならなかったです。
それよりも「楽しみ」が勝ってた。「ここでやってやるぞ」っていう気持ちのほうが強かったです。
―寮生活は楽しかったですか?
すごい楽しかったです。チームメイトと一緒に過ごして、食事して……
―ここでは言えない思い出もたくさんありそうですね。
そうですね、はい、高校生なんで(笑)
―高校時代のチームメイトとは、今でも付き合いがありますか?
同学年に限らず先輩も後輩も、何人か選手としてサッカーやってるのでつながりはありますね。試合で対戦することもあるんですよ。
中盤での激しい競り合いを見せる梶山選手(左)
プロの洗礼。糧に変えて成長へつなぐ
―高校卒業後は名古屋グランパスに入団されたと伺いました。
はい。スタートラインに立ったというか、こっから頑張ろうっていう、そんな気持ちだったのを覚えています。
それからSC相模原に移籍して、合計4年間Jリーグでプレーしました。
―SC相模原では稲本潤一選手とチームメイトだったんですね。
そうですね、同じポジションなのでチームメイトでありライバルみたいな感じでした。
―大先輩の存在は刺激になりましたか?
はい。最初は名前聞いただけでびっくりしちゃってたんですけど(笑)
とてもフレンドリーな方なので、すぐ仲良くしていただきました。
向こうからも話しかけてくださるし、気軽に話しかけられるオープンな雰囲気をつくってくれて、本当、楽しい思い出しかないですね。
―名古屋・相模原時代で印象に残っていることは?
試合に出られない時期が多かったことです。特に最初の名古屋のときは、なかなか機会に恵まれなかったので。
―プロの洗礼を浴びた?
うーん。高校までは結構着実に、右肩上がりでキャリアを積めている感覚があったんですけどね。
だからこそ、試合に出れない時期はすごく辛かった。
けどそういう時期があったからこそ今があるのかなと思います。
―辛い時期、どうやってモチベーションを保っていたんですか?
正直保てていませんでしたね。自分を律することができていなかった。
楽な方へ逃げてしまったり。
でもいろんな先輩からアドバイスを貰えたりして、思い返せば学ぶことの多い期間だったと思います。
出場機会がなくても自身の成長のためにトレーニングしている先輩がいて。
その方は別のチームに移籍したあと活躍されていました。
そういう先輩の姿を間近で見れたのが大きかった。
苦しいときにどれだけやれるかっていうのが、他の選手と差をつける大事な要素のひとつだと気づいたんです。
―先輩の姿が、今のお手本になっているんですね。
そうですね。試合に出る出ないに関わらずトレーニングのときから常に100%って自分に言い聞かせています。
練習の時も真剣な表情
都農との出会い
―ヴェロスクロノス都農に入団したきっかけは?
相模原が契約満了になって、次のチームを考えていたときにヴェロスクロノス都農からオファーをいただいたんです。
すぐには返答できなかったんですけど、時間を置いてからもう一度「ぜひ来てほしい」と言っていただいて。
2回も声をかけてくださった。自分を欲してくれているチームでプレーしたいと思えたので入団の意思を伝えました。
―相模原と都農の環境の違いはありますか?
サッカーに関しては、違いはそこまでなくて。
Jリーグでやってきた選手や経験豊富な選手がいっぱいいて、入団当初はすごいレベル高いなって驚かされました。……生活面での違いのほうが大きくて(笑)
―そうですよね(笑)
まず“つの”って読めなくて。何県?っていうところから始まって(笑)
そのとき僕、新潟の実家にいたので、そこから車で宮崎に向かったんです、2〜3日かけて。
―車で!?
はい。そしたら九州自動車道入ったら1車線しかなくなって……
―高速道路なのに……
そう、高速なのに……と思いながら。
で、いざ都農に着いたら、えっ本当にサッカーチームあるの!?っていう。
そのぐらい衝撃受けたんですけど。うん、最初の最初は、本当、そんなイメージ、印象です。
ただ、そこから暮らしていくにつれて、いろんな人と出会って、試合を見に来てくれたりとか。
都農の人たちみんな温かくて、僕たちを応援してくれてる人がいっぱいいるということに気づいてから、すごいいい所だなって思うようになって、今、4年目になってます。
―だんだん馴染んできてるわけですね。
はい。僕、川で遊んだりしてるんですけど、泳いだり飛び込んだり。
そういう自然の中で遊ぶ楽しさ・魅力っていうのは、都農に来なかったら気付けなかったと思います。
―地域おこし協力隊ではどんなことをされていますか?
デジタル班で、地域の方にスマホやタブレットの使い方を教えたり、相談に乗ったりというのをしています。
そこでおじいちゃんやおばあちゃんとの交流も生まれて。
ヴェロスの選手として認知してくれて、試合にも来てくれたり、応援されているのを実感できるので、仕事なんですけど、幸せな時間ですね。
地域おこし協力隊・デジタル班としてスマホの使い方をレクチャー中
まず九州、そしてJFL昇格へ
―今年で26歳、中堅と呼ばれる年齢に差し掛かってきています。
やっぱり最初の頃に比べると、責任感は年々強くなっています。
自分からアドバイスするタイプではないですけど、後輩が悩んでいるときには声かけたり、聞かれたときにはしっかり答えたり。
―チームとしても、そういう役割を求められている?
そう思います。でも結局「背中で見せていかないと説得力がない」と自分では思ってるんで、今まで経験したことを行動で示しながら、その上でコミュニケーションを取って、うまく伝えていければいいかなと思っています。
―今年の目標を教えてください。
1番はJFL昇格。なんですけど、まずは九州リーグで優勝しないとその資格も得られないので、まずはそこ。その先にJFL昇格があると思っています。
―九州リーグは連勝スタートでしたね。
優勝に向けて「ここがヤマだな」という試合がありますか?
ヤマといえば、全試合そうです。そういう緊張感の中で試合に臨むっていうのが大事で。
終わってみれば点差が付いていることはあるけど、簡単な試合は1試合もないと思います。
あとは、同じ宮崎の「FC延岡AGATA」と、大分の「ジェイリースフットボールクラブ」がライバルなので、その2チームには確実に勝ちたいですね。
ゴールの喜びを分かちあう梶山選手(中央)
―長いリーグを戦うためには、疲労を溜めない工夫も必要ですね。
九州リーグは2日連続や3日連続試合ということもあるので、それはすごく大切ですね。
JFLを見据えると、九州リーグは当たり前のように勝っていく必要があるし。
僕個人としてはもう4年目なのでだいぶ慣れました。初年度は2試合連続なんて考えられなかったですけど(笑)
―試合の中で、こういうプレーを見てほしい、注目してほしいポイントはありますか?
ボールを持っているときだけじゃなく、持っていないときどう動いているか、とか。
あとは運動量も自分の持ち味なので、誰よりも走っているところを見てほしいです。
ボールを持ったときは、前線へボールを運ぶドリブル、ゴール前ならシュートやパスを見ていただけたら嬉しいです。
ドリブルで切り込む梶山選手
―点に絡む動きはやはり重要?
重要だし、チームとしてもそこを求めていると思います。
得点を取るにはゴール前のプレーの質が大事になってくるので、日頃の練習から上達するように取り組んでいます。
―最後に、都農町の皆さんやサポーターの方々に一言お願いします!
僕が来たばかりの頃はホーム戦に来てくれるサポーターは300人くらいでしたが、去年は1,000人近くに増えました。
着実にヴェロスのことを認知してもらっているなと感じています。
僕個人としても嬉しいし、チームとしてもすごいモチベーションアップになっています。
「面白い!」だったり「明日からまた頑張ろう」と思えるような試合ができるよう、僕たちはひたむきにプレーします。
なので、ぜひ!試合を見に来てほしいです!
梶山幹太 選手の詳細プロフィールはこちら
- 2024.04.24
- 選手・スタッフ