「応援が最大の原動力」と語り、
周りの人への感謝を忘れない、心優しき“エゴイスト”。
未来を見据えて、着実に進化を続ける濱田智也選手にインタビューした。
サッカーとの出会い
―サッカーを始めたきっかけを教えてください
父と兄がサッカーをやってたのもあって、気づいたらやってたって感じですね。多分、4歳くらいから……かな?保育園の年中ぐらいには、ボールを蹴り始めてたと思います。
―お父さんもサッカーをされるんですか?プレーヤーだったとか?
そうなんです。今年52歳とかになるんですけど、シニアの方で未だに現役のプレーヤーです(笑)
―ちなみにお父さんのポジションは?
ポジションは同じフォワードですが、身長は高い方ではなくて、どちらかというとパワー系ですね。身体ゴリッゴリの、ふくらはぎボボーン!みたいな感じでした。
―最初はお父さんやお兄さんの練習についていってた感じですか?
保育園のサッカーチームがあったので、それに参加していましたね。「サッカー教室」に近い感じだったと思いますけど、外部からコーチの方が来てくれたりして、結構ちゃんとやってました。
小学生になってからは少年団のほかに、父ともよく公園で練習していました。ボールをただ蹴るだけじゃなくて、アジリティ(※)の部分をしっかりと指導してもらった記憶があります。父からは「お前はプロになるための生活をしろ」って言われていて、普段の生活の部分からプロを意識して過ごしていたので、父の影響はかなり大きいですね。
※サッカーにおける「敏捷性」「機動力」のこと。単純な足の速さだけでなく、方向転換の素早さ、反応速度など、味方・相手問わず動きに機敏に反応するスキルのこと。
―その後、中学校を経て、高校は地元ではないところに通われたそうですね
地元の出水市(いずみし)から1時間ぐらい離れた川内市(せんだいし)にある「れいめい高校」に通っていました。鹿児島県内でもサッカーに結構力を入れている高校のひとつで、中学3年の時に特待生の話をもらったので、進学を決めたって感じですね。
―特待生ということは、中学時代からすでに県内では有名だったんじゃないですか?
一応、小学6年生の頃から県の選抜メンバーに選ばれていました。でも、周りの選手たちは、クラブチームとか強豪チームの出身者ばかりだったんで、いろいろな面で差を感じてましたね。当時の自分は、「地元の子たちより、少しは上手いかな」って思ってたんですけど、選抜のメンバーを見て、結構やられたっていうか(笑)サッカーはもちろんうまいし、体格も全然違うんで、ちょっと圧倒された感じはありましたね。
中盤底のパサーからストライカーへコンバート
―今フォワードとしてプレーされてますが、始めた当初からずっとフォワードなんですか?
いや、実は中学まではボランチで(笑)県選抜もずーっとボランチで呼ばれていたんです。
高校生になってから身長が一気に180cmくらいまで伸びて。そしたら高校の監督から「フォワードしてみないか?」って話をもらって、コンバートしたって感じですね。
―ボランチへの未練はなかったんですか?
最初はありましたけど、やっていくうちに「点を取る楽しさ」が芽生えてきて(笑)
ボランチの頃は「自分のパスで味方に点を取らせたい」って気持ちが強かったんですけど、フォワードになったら不思議と「点を取りたい」に変わっていきましたね。
―「生かす側」から「生かされる側」になったことで、気を付けていることはありますか?
ずっとパスの「出し手」だったので、その視点での動き方はちょっと意識してます。ボランチの時は「ここにいてくれ!」って思いながらプレーしてたんですけど、今は「ここにいたら、出しやすいやろうな」っていうところに動くようにしてます。
―フォワードになってから参考にしてる選手はいますか?
ヴィッセル神戸の大迫勇也選手や、日本代表の上田綺世選手の動きはすごく真似してます。メンタル的な部分で言うと、鹿島アントラーズの鈴木優磨選手。高校でも大学でも、監督から「優しすぎる」って言われてきたので。
―「優しすぎる」とは、どういうプレー・場面で言われたのでしょう?
例えば、味方からいいパスが来なかった時に「別にいいよ」みたいな態度を取っちゃうというか。いつチャンスが巡ってくるか分からない世界なので、そこで厳しく怒ったり、もっと要求したりっていうのが、やっぱりフォワードは特に大事な部分だと思うんで。
あとは、大事な局面でシュートではなくパスを選択してしまうこともあって。なので、フォワードとして、「自分が決めるんだ」というエゴを、もっと前面に出していかなきゃなと思っています。そういう意味でも、鈴木優磨選手のようなメンタリティーは、すごく参考にしたいなって思っていて、かなり意識しています。
―フォワードとしてのご自身のプレーの強みはどんな部分ですか?
やっぱりヘディングだったり、体を使ったプレーだったりは強みですかね。ゴール前での迫力っていうのは、すごく自信を持っている部分です。
フィジカルを生かして相手DFと競り合う濱田選手
フォワードとして、選手として、成長できた大学時代
―大学時代はコロナ禍真っ只中だったと思いますが、大変だったのではないですか?
入学式もなかったり、コロナの影響はガッツリ受けましたね。1~2年目とかはほぼ試合がない感じで。結局ホームアンドアウェイで全試合通してできたのは、4年目の1シーズンだけでした。
―サッカーだけじゃなく色々な制限がある中で、大変なことも多かったのではないですか?
確かにサッカーができない状況ではあったんですけど、自分の気持ちとしては意外とポジティブで、「サッカーができないからこそ、他にできることをやろう」って。チームみんなで大学の周りのゴミ拾いとか、地域貢献活動を積極的にやってました。
ほかにも、自宅でのトレーニングの様子をinstagramに載っけたりもしてました。とにかく、体幹トレーニングをして、体のコアの部分を結構鍛え抜いた1~2年だったなと思います。その時期に懸命に取り組んだからこそ、3年生の時に初めて九州リーグの前期リーグ得点王になれて。12ゴールくらい決めたんですが、1~2年の努力が報われた瞬間でした。
―得点王になったことで、変わったことはありましたか?
「デンソーカップ」っていう全国大会の、九州選抜に選ばれました。ただ、結局試合にはそんなに出られなくて。そこもちょっと挫折のタイミングで、落ち込んだ時期でもありました。
ただすぐに、「この悔しさは4年目に生かそう」って思って切り替えましたね。4年目は得点王とかではなかったですし、チームとしても結果は良くなかったですけど、個人的には心身ともに成長できたシーズンだったと思います。
大学4年生では副キャプテンを務め、プレー面以外でもチームに貢献した(後列左から2人目)
ヴェロスクロノス&都農町との出会い
―大学卒業後、すぐにヴェロスクロノスに入団されますが、きっかけをお聞かせください
4年目の夏に強化部長の根本さんからお話をいただいて。その1週間後ぐらいに練習参加って形で都農に行かせてもらったのがきっかけです。
ただ、その練習の後、パタッと連絡が来なくなって(笑)後で知ったんですが、地域リーグって、夏の段階で正式なオファーが出せないみたいで。仕方がないんですけど、当時の僕からしたら「結局都農に行けるの?行けないの?」みたいな感じで(笑)正直焦りや不安は大きかったですけど、最終的に11月後半ぐらいに無事連絡をいただいて、一安心って感じでした(笑)
―入団の決め手はなんだったんですか?
根本さんからのオファーがすごく熱烈だったっていうがひとつ。そして、なにより練習参加した時にチームのレベルの高さを感じたんです。プロを経験してる選手も多かったので、サッカーだけじゃなく、プロとしてのメンタリティの部分や、サッカーを軸にした生活の仕方など、全てにおいて違いを感じました。プロを経験してない自分としては、「ここなら心身ともに成長できるな」って感じて、入団を決めましたね。
―実際にチームに入ってプレーしてみていかがですか?
大学の時は味方からのロングボールをもらって、僕が競るっていうサッカーだったんですけど、今はポゼッションサッカー。とにかくパスを繋いで繋いでゴールに近づいていくスタイルなので、最初は違いに戸惑いました。だけど、合わせていかないと試合にも出れないので、練習から意識してやってますね。
監督のやりたいサッカーはすごく伝わってますし、説明も分かりやすいので、柔軟に対応していきながら、成長できればと思っています。
試合でシュートを放つ濱田選手
―特に衝撃を受けた選手いますか?
今年から入った山田雄太選手のプレーは、勉強させてもらってます。九州リーグで得点王になったこともあって、めちゃくちゃ点を取る選手で。今年32歳で最年長なんですけど、めちゃくちゃ動けるし、テクニックとか体の使い方とかがすごく上手い。スピードもあって、体も強いし、すごく参考にしてます。
やっぱり同じポジションなので、自分も負けたくないですし、真似したい選手ですけど、ライバルでもあるんで。「いつか追い越してやるぞ」っていう気持ちは常に持ってます。
―初めて都農町に来たときの印象を教えてください?
初めて練習参加で行ったときは、「本当にこんなところにサッカーチームあるの?」って感じだったんですけど(笑)今は本当に温かい町という印象ですね。結構高齢な方もたくさん観戦に来てくださいますし、街をあげて応援してくれてる感じがあります。特にホーム戦の時は、選手だけじゃなくて、町の皆さんが一緒になって戦ってくれてるなと感じられて、とても心強いです。
僕はまだホーム戦に出たことがないんで、早く出場できるようになって、皆さんの前でたくさんゴールを決めたいです。
―サッカー以外のところで、現在仕事はどんなことをされてるんですか?
シフトプラスの都城営業所に所属しています。元々情報システム部だったんですけど、パソコンが苦手過ぎて(笑)6月から部署を変更していただいて、今は受託の部署にいますね。仕事は依頼されたことをやるっていう状態なんで、一応なんでも屋さん的な感じです。 パソコンでコピーアンドペーストを駆使して、頑張っています(笑)
―現在一人暮らしと伺いましたが、食事はどうされてるんですか?
帰ってから自分で作りますね。極力自炊するようにしてて、作った料理をインスタによくアップしてます。都農の先輩とかから「お前、あれ作ってねぇだろ」「あれ食べた後、ポテチとか食ってんだろ」とか、めちゃくちゃイジられるんすけど、ちゃんと作ってます(笑)
食事もやっぱトレーニングだと思ってるんで、外食は控えるようにしてますね。
栄養バランスも意識しながら作っているという夕食メニュー
―休日はどんな風に過ごされてるんですか?
基本オフの日でも午前中はジムに行って体を動かしてます。その後は、温泉に入ったりしてますね。ちょっと離れてるんですけど、西都市にある「妻湯」とか、市内だったら「極楽湯」ってところに結構行きますね。
―朝のコーヒータイムがマイブームと伺いましたが、元々お好きだったんですか?
いえ、飲み始めたのは本当最近です(笑)
朝コーヒーを飲んでるサッカー選手が多くて、「真似してやってみよう」と思って始めましたね。毎朝の練習にいく車中とか、オフの日の朝も絶対飲むようにしてます。ただ、結構飽き性なんで、多分そろそろ飽きてくる気がしてます(笑)
毎朝その日の気分で豆を選んでいると話す自慢のコーヒーセット。※最近の流行りはコロンビア産。
―飽きっぽい濱田選手が、今もサッカーを続けられている理由は何でしょうか?
やっぱり、両親に恩返ししたいっていう想いがあるからですかね。
母はおそらく、これまでの僕の所属チームの試合は、自分が出てない試合とか関係なく、ほぼ全試合観に来てくれてます。大学時代も2週間に1回は必ず来てくれてました。来てない試合の方が少ないぐらいで。
父も最近、ヴェロスの試合を見るためだけにスクリーンを買ったらしくて(笑)母は大反対だったらしいんですけど、気づいたら勝手に楽天でポチってたって。Youtubeのライブ配信とかを映して1人で観てるそうです(笑)
試合に出れない状態が続いてる今も、「次また切り替えて頑張れ」っていうメッセージとかをよくくれるんで、自分でも「すごく愛されてるな」って感じます。
―それは、ぜひプレーで恩返ししたいですね。
なんとしてでも早くゴールを決めて、笑顔にしたいですね。また、おじいちゃんやおばあちゃんとか、両親の友達の方とか、地元の先輩や同級生とか、本当に色んな人が応援してくれてて。「自分の周りで支えてくれてる人たちに恩返しがしたい」っていう気持ちが強いです。だからこそサッカーだけは飽きずに続けられてるのかなって思いますね。
都農で成し遂げたい夢に向かって
―今シーズンも折り返しですが、チーム・個人それぞれの目標をお聞かせください
個人としては、なかなか試合に絡めてない時期が続いてるので、 後期リーグではちゃんと試合に絡める選手になって、得点を量産したいなって思ってます!自分は這い上がっていくタイプの選手なので、そこをしっかりと見せていきたいですね。
チームとしては、やっぱりJFL昇格っていうのが大きな目標です。全員が同じ方向を向いてやれてるので、九州リーグ優勝することもそうですけど、やっぱりJFL昇格が町の皆さんやサポーターの皆さんへの一番の恩返しだと思ってるんで。
今年カテゴリーを1つ上げて、JFLの舞台で都農町の皆さんやサポーターの皆さんと一緒に戦いたいなって思います。
―最後に、応援してくれているサポーターの方や都農町の皆さんへメッセージをお願いします
まずは、日頃から、都農町という素晴らしい地域でサッカーをさせてくださってること、本当にありがとうございます!
最近で言ったら、ホーム戦の時には1000人ぐらい応援に来ていただけるチームになってきていて、皆さんのサッカーに対する情熱はすごく届いています!
僕らはその情熱を力に変えて、一緒にJFL昇格を成し遂げたいと思っているので、チームも個人も、これからも応援してもらえたら嬉しいです!
よろしくお願いします!
濱田 智也 選手の詳細プロフィールはこちら
- 2024.07.18
- 選手・スタッフ