2024.08.01

《選手&スタッフ インタビュー#31 》神代 一慧選手インタビュー

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爽やかさの裏に秘められた情熱

献身的な姿勢でチームの柱となる存在へ

積極的なプレーで飛躍を誓うMF神代一慧選手にインタビューした

 

サッカーとの出会い


―サッカーを始めたきっかけは?

5歳のとき、幼稚園で行われていたスクールに入ったのがスタートです。もともと父と公園でボールを蹴って遊んでいて、サッカーの楽しさは実感していました。そんなときに大学生がコーチとして幼稚園に来てくれるスクールがあることを知ったんです。人見知りだったんですが、サッカーをやりたい一心で飛び込みました。

 

―現在は明るい印象を受けますが、子ども時代は大人しい性格だったんですね

両親が言うには、めちゃくちゃ泣き虫だったみたいで(笑)。トイレに行くときも、母にくっついて行っていたそうです。サッカーを始めてからどんどん明るく、前向きな性格になっていったと聞いています。自分で性格の変化を自覚したのは中学生くらいのときですね。サッカーは自分のプレーをピッチで表現するために自己主張できなくちゃいけないので、そのおかげかなと思います。

 

―いつからJ1サガン鳥栖のアカデミーに?

小学4年生のとき、当時通っていたスクールの監督や両親から勧められてU-12のセレクションを受けました。まさか入れるとは思っていなくて、実力を試す目的で参加したんですが想像以上に上手くいって合格できたんです。

 

―アカデミーではどんなことを学びましたか?

プロ選手や、同世代でも自分よりレベルの高い選手が近くにいる環境で練習できたのは、かなり刺激になりましたね。また、特に鳥栖では技術力だけじゃなく、人としての成長を求められたんです。サッカーはチームプレーなので、選手間同士の円滑なコミュニケーションや、思いやりの気持ちがとても大切です。そのため、人間性を磨いてくれたチームには感謝していますね。

子どものころから培った技術でピッチを駆ける神代選手

 

―アカデミーで一番記憶残っていることはありますか?

鳥栖はめちゃくちゃ練習がきついことで結構有名で(笑)。続けていけるのか不安になるほどでした。全寮制で、私生活も厳しく指導されてたんです。SNSも禁止で、唯一LINEだけ許されていました。門限も午後7時と決まっていて、本当に練習漬けの毎日でしたね。

 

―練習メニューもハードだったのでは?

メニューの量も質もすごかったっすね~朝練もあったし。強度の高い練習を求められたので、一つ一つ気が抜けなかったです。ただ、それだけ厳しい練習を乗り越えたおかげで高校3年生のときにプレミア(高円宮杯JFAU-18プレミアリーグ)に上がることができました。自分は試合には出られなかったのでプレーヤーとしては心残りがありますが、チームの一員としては嬉しかったですね。

 

―ポジションはずっと変わらずMFですか?

そうですね。小中高はセンターハーフをずっとしていて、大学からサイドハーフもやるようになりました。トップ下やシャドーもやりましたね。個人的には、センターハーフで勝負したい気持ちが強いです。

 

―サガン鳥栖U-15では、今J1鹿島アントラーズに所属している濃野公人選手と一緒だったんですね。?

公人は同級生で、一緒に練習を頑張っていました。当時から公人は細かなプレー技術が周りの選手と比べても飛び抜けていましたね。たまに連絡を取ってるんですけど、公人の存在は良い刺激になっています。「俺ももっと頑張ろう」って。

同期の活躍を力に、さらなる努力を誓う神代選手

 

「チームのために」経験で培われた主体性と献身性


―高校卒業後に入った東海大熊本サッカー部での練習は、鳥栖とはどう違いましたか?

高校までは指導者から言われるがまま練習してきましたが、大学では全部自分で考えてやらなければいけなくなりました。監督やコーチからの要求が減った分、自分たちで課題を設定してメニューを組み立てていましたね。
週末の試合を分析して、チーム内でミーティングして……って自分の技術を磨くだけじゃなくてチーム全体のことを考えて動かなくちゃいけない環境でした。「やらされてる」ではなくて「主体的に自分たちでやる」ことがベースだったからこそ、チームの一体感はすごかったです。大学2年生のときの九州トーナメントで、決勝まで進出できたのはこういった練習環境のおかげだと思います。

 

―ヴェロスクロノス都農に入った経緯は?

大学卒業後は正直就職も考えていました。サッカーを続けるか辞めるか悩んでいたとき、大学の監督から「ヴェロスの練習に参加しないか」と声をかけられたんです。「ここで辞めたら後悔する」と思い、参加を決めました。当時のヴェロスは経験値が高いベテラン選手が多く、全体のレベルが高い印象を受けたんです。アドバイスをもらいながら練習する中で、「すごくいい環境だな」と感じてオファーを受けることにしました。

 

―プロに入って1年目ですが、チームにとってどんな存在になりたいですか?

まずは試合に出られるよう頑張ります!まだまだ経験は浅いですが、それを言い訳にせずしっかり得点に絡んでいけるようなプレーをしていきたいです。そのためにアシストパスの技術を磨きながら、状況判断力も培っていければと思います。次のプレーを考え、行動するまでの時間を短くすることでチャンスを逃さない選手を目指します。

プレースピードを向上させ、チームの中心的存在を目指す神代選手

 

―以前の大分戦では、試合直前でベンチ外となりながらも裏方でチームを支えていましたね。

開始1時間前にミーティングでベンチ外を宣告されて、正直めっちゃ悔しかったです。ただ、「チームのために」と自分に言い聞かせて、試合のビデオ撮影などできることをやりました。大学時代に身に付けたビデオカメラマンの技術が生きましたね(笑)。
悔しい気持ちはあっても、ピッチでプレーしている選手だけがヴェロスのメンバーじゃありません。裏方で貢献する姿を見せることも、チーム全体のモチベーション向上や雰囲気作りに大切です。もちろん試合には出たいですが、チームのために任された仕事はしっかり果たしていきたいですね。

 

―シフトプラスではどんな仕事をしていますか?

主に楽天ふるさと納税のECサイト修正を担当しています。最近では、寄付者宅に不在票が入ったときの配送業者への連絡や、電話対応もするようになりました。初めは自分に向いてないと思っていたんですが、少しずつできるようになってきてやりがいを感じています。同僚もみんな優しくて、働きやすい環境です。ただ敬語がまじで苦手で(笑)

 

―そうですか?お話していてまったく違和感はないですが……

まじっすか?!仕事をする上で、敬語はしっかり使えるようになりたくて、日々言葉遣いを勉強しています(笑)

日々の業務にも奮闘する神代選手

 

―宮崎県で暮らし始めたばかりですが、お気に入りの場所やお店ではできましたか?

住んでいる宮崎市も都農町も、ご飯が美味しくてすごく良いところだと思います。あとやっぱりチキン南蛮を出すお店が多いです。おすすめは宮崎市の「竜宮ラーメン」のチキン南蛮で、これまで食べた中では一番美味しかったですね。都農町だと、洋食店の「グリルポパイ」がお気に入りです。

 

―マイブームに「景色が良い場所に行く」とありますが、最近はどこか行きましたか?

宮崎市の青島に行きました。景色がいい場所って、開放感があって心が穏やかになるから好きなんです。特に海が広がっている景色が好きで、今は日向市の馬ケ背に行ってみたいと思っています。

 

―大学時代、学生情報誌のコーナー「おしゃれNAVI」で取り上げられていましたね。ファッションが好きなんですか?

あれ見たんですか!本当に黒歴史です(笑)。どういう経緯かは忘れてしまったんですが、たぶん声をかけられてスナップ写真を撮られたんだと思います。服が好きで、大学のときはよく古着とか買っていました。

 

ヴェロスクロノス都農の未来


若手選手の一人として期待されている神代選手

 

―都農町民やサポーターの雰囲気はどうですか?

ホーム戦のときは町内からたくさんの人が応援に来てくれて、町全体でヴェロスを盛り上げようとしてくださっているのを感じます。期待に応えることができるよう、頑張らないといけないと気が引き締まります。

 

―今後のヴェロスクロノス都農の目標は?

JFL昇格しかありません!九州リーグで勝っていくには、若手選手による選手層の底上げが必要です。自分も若手の一人として、フレッシュに動けるよう身体を仕上げていきたいです。

 

―サポーターに一言お願いします。

ホーム戦だけでなく、アウェー戦にも毎回大勢の人が応援に駆けつけてくれて、本当に力になっています。昇格という形で恩返しできるよう頑張ります!


神代 一慧 選手の詳細プロフィールはこちら

2024.08.01
選手・スタッフ

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